「鞦韆 」がちくまから文庫化されるですって!?
と先月知ったとき、私は軽い眩暈を感じた。仕事がハードだったせいもあると思うが、
それにつけても鞦韆 !ブランコと読みます。こんな漢字ありえるのか…。
私と鞦韆 との出会いは17歳、書店の新潮文庫の棚でだった。非常に薄い文庫だったが、とんでもないめくるめく高度すぎる内容で、
しばらく悪夢に悩まされたものだ。それで何回か立ち読みに行った。一冊だけ置いてあるそれは、誰も買わなかった。熟読した制服姿の私。そりゃもう気になって気になって仕方がなかったか゛なぜか買えなかった。買えないよう、だって性愛小説なんだもん!というところもあったが、それはあまりにもあまりなのであった。富士見文庫くりいむレモンとはわけが違うのだった。
おそらく発行部数も少なかっただろう。売れなかったに違いない。その小さな本は、レジに持っていくのがためらわれる恐ろしさに横溢していたのだから。
それが再発行される。ああ大変。橋本さんは編み物の世界に旅立ったのではなかったのだろうか。違っていたようですね。他にも精力的に多くのご活動を変わらす゛繰り広げていらっしゃる偉大な文学者である。
しかし
鞦韆 。
しつこいか。
それで通販で速攻で買って逃げるように読んだ。私は32歳になったのだ、エロ心も枯れ果てかけるこの年頃、もう夢魔は私の寝床を襲うことはないだろうことは確実であるが、
やはりそら恐ろしい小説でした。そして、こんな小説を書く橋本氏の脳みそと、出版したひとの出版文化への貢献努力にかんぱいである。
(久世光彦の[早く昔になればいい]は速攻で絶版になったらしいのですがな)
鞦韆 新潮文庫版は、著者近影が無かったような気がする。
しかしこのたびのちくま版には自信に満ちた橋本氏のご近影が表紙見返しから燦然と微笑んでいて、目に付く。ヴィジュアル的に計算しているのかというくらいに。いや計算してるね。断定。それなら、また新潮版と意味が違ってくると思うのだが。
新潮版よりずっと早く同じ運命を辿るのではないかと非常に余計な想いを持ったのだった。
ところで私は、批評家としての橋本氏には納得していない。学園もの作者としての橋本氏にもだ。
ものすごい違和感を感じる。自動書記で書いているひとという感じで、
まあ
要するに言ってることがさっぱり判らないんだよ!!
きっと橋本氏は天才過ぎるのでしょう。そして私は読者として選ばれた身ではないのでしょう。
しかし、このたび同時にシリーズで出た
もすばらしい名作ぞろい。「鞦韆」とは一味違った性愛ワールドです。読後は一陣の爽やかな5月の風が吹きぬけるのです。再発行ばんざいです。
私はいつか橋本古典にも親しんでみたい。
2006-04-17 23:26:33
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